1Q84ニュース

2010年6月

拳銃談義・その2

文庫編集部Eの拳銃談義の続きです。

「その、会社に名前を残せなかったザイデルさんが設計したHK4が、ヘックラー・ウント・コッホ社が最初に手がけた拳銃です。もともと戦前のモーゼル社のヒット製品であった自動拳銃HScをベースに開発され、1968年に世に送られました。銃口からグリップの端までの全長が16センチ弱、銃本体の重量が500グラム弱。アメリカ軍が長く使っていたコルトM1911、いわゆる「コルト・ガバメント」の全長が21センチ強、重量が約1キロであることを考えると、小ぶりでいかにもヨーロッパ的な自動拳銃といえるでしょう。このモデルの最大の特長は、そのHK4という名が表すように、銃身の交換により4種類の口径の弾丸が使用できるという点でした。4種類の弾丸が使えるメリットというのは、拳銃所持が難しい日本人にとってはなかなか実感しにくいものですが、ユニークな特長が好評を博してかロングセラーとなりました。西ドイツ(当時)国内の警察に採用されたほか、アメリカにも輸出されたようです。

『1Q84』では、タマルは青豆に「ドイツ製で、重さは弾丸抜きで480グラム。小型軽量だがショート九ミリ弾の威力は大きい。そして反動も少ない。長い距離での命中精度は期待できないが、あんたの考えてる使用目的には合っている」と説明しています。とすると青豆のHK4は、使用可能な4種類のうちの最大口径である9ミリショート(.380ACP)弾を発射できる銃身が選択されていたことになります。さらにタマルは、この拳銃は手入れの行き届いた中古品であり、「銃は自動車と同じで、まったくの新品より程度の良い中古品の方がむしろ信頼できる」と説明。さらに警察の摘発を受けた場合を想定して、供述すべき拳銃の入手方法まで青豆に指示します。

 そして1984年。こうした天吾と青豆(そしてタマル)の物語が進行しているその年に、HK4は17年に及んだ製造に終止符を打ったのでした。」

「なるほど、1984年にはそんなドラマもあったわけですね。ところでEさんはHK4を撃ったことある?」
「残念ながらありません。機会があれば、撃たなくてもいいから、いじってみたいですね。マガジンを着脱したりとか。」
「しかしよっぽど拳銃が好きなんですね。この拳銃だったら撃たれて死んでもいいくらい好きな機種ってある?」
「あるわけないでしょう。でもこれだけは勘弁してほしいという弾丸はありますよ。体内で弾頭が広がってダメージを増大させる、ホローポイント弾とかソフトポイント弾はなるべく避けたい。それだったら、きれいに貫通してくれるフルメタルジャケット弾が望ましいですね。」
「覚えておきましょう。」
「はは。でも本当は、撃つのは好きじゃないんです。なぜかというと、鼓膜が弱いせいなのか、あの発射音に耐えられない。1発撃つと2、3日は難聴になるんですから。いつだったか、アリゾナ州の砂漠の真ん中で試し撃ちした時、イヤー・プロテクターをつけようとしたら、ガイドのカウボーイにこの軟弱者!と罵られたしなあ。」
「マニアにはマニアの苦労がある、ということか。」

拳銃談義・その1

出版部Sです。新潮社にはさまざまな趣味を持ったスタッフがいます。中でも文庫編集部のEは、自他共に認める拳銃マニア。今回はそのEからのメッセージをお届けします。

文庫編集部Eです。『1Q84』には、重要な役割を担うさまざまなツールが登場します。なかでも印象的なのが、青豆がタマルに依頼して入手したHeckler & Koch HK4。そう、Book 2の23章のラスト、渋滞中の首都高の上で、青豆がある行動に出た際に手にしていた、あの拳銃です。

 拳銃といえば、過去の村上作品でも、やはり極めて重要な場面に登場していたことを思い出します。たとえば『ねじまき鳥クロニクル―第3部 鳥刺し男編―』の終章近く、シベリアの収容所の支配者である「皮剥ぎボリス」を間宮中尉が射殺しようと試みた際、ボリスから奪って引き金を引いたのが、ドイツ製のワルサーPPKでした。与えられた2発の実弾を片手で装填し、ボリスに向けて発射する場面の緊迫感は、多くの読者の記憶に残っていることでしょう。ボリスがナチ親衛隊の将校から奪ったというPPKは、いわゆる大型のゴツい軍用拳銃ではなく、洗練された外観を持つ小型の自動拳銃です。その名のPPK(Polizei/Pistole/Kurz=Police/Pistol/Short)が表すように、元々は私服警察官による使用を想定して開発されたもので、「007」シリーズのジェイムズ・ボンドの愛用銃としても有名です。

 さて、それでは今回のHeckler & Koch HK4とはどんな拳銃なのか。まずその製造元からたどってみましょう。先のワルサーは一般にもよく知られたメーカーですが、Heckler & Kochとなるとそうはいかない。だいたい何と発音するのか分からない。『1Q84』には、当然ながらちゃんと書いてあります。「ヘックラー・ウント・コッホ」。一般の方は「聞いたこともない」とおっしゃるかもしれませんが、第二次大戦以降の銃器に関心を持つマニアはおそらく100パーセント知っている、ドイツの有力メーカーです。拳銃だけでなく、世界各国の軍に広く採用されたアサルトライフルG3の開発でも知られており、最近の例でいえば2007年、ミャンマーで日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された際に、治安部隊が使用していたのもこのG3(のライセンス生産品)でした。

 ワルサーと同じく第二次大戦以前から知られたドイツの銃器メーカーに、モーゼルという会社がありました。本来は「マウザー」と発音するらしいのですが、子供のころにおもちゃのピストルで遊んだ世代には、なじみ深い存在でしょう。そのモーゼルが戦後解体された際に、独立した技術者が設立したのがヘックラー・ウント・コッホでした。エトムント・ヘックラー氏とテオドール・コッホ氏、そしてもう1人、アレックス・ザイデル氏の3人で作ったから、ヘックラー・ウント・コッホ。

「あれ? ヘックラーさんとコッホさんは拳銃会社の名前になってるのに、ザイデルさんの名前がついてないみたいだけど……。」
「い、いい質問ですね(汗)。ザイデルさんは謙虚な人だったので、おれはいいよと遠慮したんじゃないかろうかと」
「……。この項、次回に続きます。」

新潮文庫の100冊

201006108_1.jpg新潮文庫Tです。梅雨が明ければ、夏。「新潮文庫の100冊」の季節です。今年もたくさんの小説・エッセイがラインナップされ、楽しい小冊子もできました。

201006108_2.jpg6月1日から期間限定のTwitter(http://twitter.com/shinchobunko)もはじまり、6月26日から恒例の特設サイトもオープンします!

春樹さんの小説は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(新装版)』『海辺のカフカ』が入っています。『世界……』は、落田洋子さんの装画・街の地図で、単行本とはちょっとちがうテイストが楽しめますよ。

(文庫編集部T)

「ENGINE」編集部より

新潮社はクルマの雑誌も出しています。その「エンジン」7月号(発売中)には、内田樹さんの『1Q84 BOOK3』の書評が載っています。是非ご一読ください。

その「エンジン」編集部から、コメントが寄せられましたので紹介します。

「エンジン編集部のシです。『1Q84』には何台かクルマ登場しますが、なかでも気になるのは、メルセデス・ベンツの銀色のクーペです。そう、謎の上品な婦人が乗っていたクルマ。あれはたぶんC123と呼ばれる230CEか280CEです。

1976年に登場したセダンのW123にクーペ・ボディのC123が追加されたのは翌77年でした。堂々とした大きなメッキ・グリル。丸みをおびた滑らかなボディ。優雅という言葉がぴったりなクルマで、1985年まで生産されていました。1984年なら、2.3リッターの4気筒エンジンを搭載する230CEは136馬力、2.8リッターの6気筒エンジンを搭載する280CEは185馬力のパワーがありました。Cクラスの1.8リッターでも184馬力もある現在のメルセデスからすれば大したことはありませんが、当時は200km/hの最高速で巡行できる高性能車でした。」

「シさんは乗ったことあるの?」

「残念ながらありません。でも、聞くところによると、この123シリーズは、いまでもメルセデスをよく知る人の間では人気があるそうです。というのも『最善か無か』という創業以来のポリシーのもと、多くの製造工程が『手作り』で行われていた最終期のメルセデスだからです。なかでもクーペのCEは生産台数も少なく貴重なので、元ヤナセ営業マンのエンジン編集部のナ記者によると、ビカモン(走行距離も少なくボディもピカピカのクルマ)の下取り車が入ると社内で取り合いになったといいます。生産効率とコストダウンが幅を利かせるようになった123後のメルセデスと比べると、ボディにしても内装(特にシートなど)にしても、明らかに手間がかかっている。メルセデスのことを知りつくしている専門家が欲しがるメルセデスだというわけです。新品、リビルド品のパーツの流通も心配ありません。優雅でクラシカルなメルセデスのクーペにいま乗るのはとてもオシャレだと思います。ただし、パーツが高価なのでそれなりの覚悟も必要ですが。」

「リビルド品って何?」
「使用済みの部品をオーバーホールして、再利用できるようにしたパーツのことです。メルセデスのパーツは、ものすごく耐久性があるので再利用できるんです。」
「末長く安心して乗れるわけですね。」

「123のセダンの生産台数が237万5440台なのに対して、クーペは9万9884台。丸みのあるボディも手作業で叩き出される部位が多くあったそうです。内装でよく言われるのはシート。座面の中央部が周囲に比べると柔らかく、座るといい具合にしっとりとカラダを支える座り心地で、当時、ヤナセの営業マンの部長クラスはみんなこれに乗っていたそうです。」

 エンジン編集部のシさんでした。

(出版部S)

「日本鉄道旅行地図帳」編集部より

出版部Sです。『1Q84』が登場して、ちょうど一年が経ちました。この一年、やはり大きな話題を呼んだのが、『日本鉄道旅行地図帳』。この編集部は我々と同じ階にあり、鉄ちゃんたちが遅くまで仕事をしています。今日廊下でその一人から、「Q」がらみの話を聞いたので、彼に登場してもらいます。

「日本鉄道旅行地図帳」編集部のGです。『1Q84』に、天吾がふかえりと一緒に中央線に乗る場面がでてきますが、ここで二人が乗っていたかもしれない中央線・201系は、国鉄初の省エネ電車として登場しました。現在は老朽化が進み、残っている2編成のうち1編成が今年6月、もう1編成が今夏に引退予定です。引退しても同じ色の同じ車両を、大阪環状線で見ることができます。

‥‥とのことです。さすがに地図帳編集部。でもちょっと専門用語が多いな。「編成」って?

「中央線は、10両がひとつながりになってるでしょう。あれを1編成といいます。」
「なるほど。そしたら、その残った2編成の中央線に乗りたい!という人はどうしたらいい?」
「何時にどの駅に到着するかを調べるのはなかなか難しいです。ただ現在使われている全体が銀色の車両とちがって、全身がオレンジ色をしていますから、見ればすぐわかりますよ。」

さあ、夏までに、あなたは201系中央線に出会うことができるでしょうか?

(出版部S)