1Q84ニュース

編集者から

新しいポスター

最近、書店の店頭で、こんなポスターを目にした方もいらっしゃると思います。パネルに浮かんだ文字が、見る位置によって「1Q84」になったり「1984」になったり。パネルの色も黄色になったり赤くなったり。



これは、レンチキラーとかチェンジング、ステレオ印刷などと呼ばれるもので、これまでに、たとえばYonda?君バッジで使われたこともありました。今回は波板のダンボールが使われていて、手作り感のあるものになっています。

(出版部S)

ご無沙汰いたしました。

皆さまご無沙汰いたしました。前回の〈1Q84ニュース〉の更新は7月7日でしたから、4ヶ月ぶりということになります。

この間、『1Q84』は、各国で翻訳書が刊行されました。また春樹さん自身の新刊も二冊刊行されています。こちらは皆さますでにご存知ですね。

murakami_books.jpg『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』(文藝春秋刊)
国内や海外での、13年間、18本に及ぶ春樹さんのインタビューが収録されています。

『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン作、村上春樹 訳(あすなろ書房刊)
ロングセラーの名作絵本が、春樹さんの新訳で刊行されました。

このニュース欄では、これから刊行が予定されている春樹さんの本の紹介も行っていきますので、改めて宜しくお願いいたします。

さて、『1Q84』の各国語訳の表紙カバーは、こちらをご覧ください。いずれも「Q」の文字が印象的に使われていますね。

1q84_germany.jpg中でも、ドイツ語版は、BOOK1とBOOK2が一冊に収められていて、総ページ数は1024ページ。日本語版の二冊を併せたページ数より幾分少ないのですが、それにしても厚い! そのためか、本文用紙は、薄い、聖書に使う紙と同じものが使われているそうです。

ちなみに、『1Q84』のタイトルは、どう発音されているのでしょう。聞いたところでは、ドイツ語の年号の読み方にならって「Q-zehn vier-und-achtzig」と読まれているそうです。Qは、ドイツ語では“ku”という音になるそうです。

(出版部S)

村上春樹ロングインタビュー

20100708.jpg「考える人」2010年夏号が発売になりました。今号の特集は「村上春樹ロングインタビュー」。この号をさいごに新潮社を退職した編集長の松家仁之が、村上さんに、二泊三日にわたってお話をうかがいました。BOOK3刊行後はじめてのインタビューにして、1979年の村上さんの作家デビュー以来、最長のロングインタビューです。

『1Q84』にまつわるお話はもちろん、芦屋での少年時代から三十年におよぶ作家活動まで、村上さんはほんとうに率直に語ってくださっています。ふだんの料理のコツや、よく聴く音楽、ずっと変わらない「弱点」についても。――ぜひ、書店でお手にとってごらんください。

(出版部SR)

期間限定サイト

20100705.jpg 新潮社の村上春樹さん関連の期間限定サイトは、これまでにも二つありました。今日はその一つ、2005年に開設され九ヶ月続けられた「村上モトクラシ」の管理人に登場してもらいます。


「当時のサイト管理人をしていたマツモトです。あれから5年、今は出版部でSさんの斜め後ろの席に座って仕事をしています。

『1Q84 BOOK1』を開いてすぐ目に入ってくるのが、“It's Only a Paper Moon”の歌詞の一部。コマーシャルやテレビ番組のオープニングでも使われていますしどなたでも一度は耳にしたことがあるかと思います。

ジャズの名曲という印象が強かったのですが、もともとは1932年上演の演劇作品のために書かれた曲だそうです。80年近く前の曲なんですね。作曲は“Over the Rainbow”も手がけたハロルド・アレン。

『1Q84』には載らなかった歌詞の冒頭部分は

“ボール紙の海の上にかかった紙の月でも、僕/私のことを信じてくれれば本物になる……”
きゃー。非常にロマンティックな詞です。現実にこんなことを言っている方がいたらぶはっと噴いてしまうところですが、歌として聴くとうっとりしてしまうのが音楽の素晴らしさです。

個人的にはナット・キング・コールが歌ったバージョンが最も心に残っていますが、帝王マイルスも録音を遺しているのでした。ちょっと意外。


さて、「村上モトクラシ」はもともと刊行情報サイトとして開設されたのですが、「村上モトクラシ大調査」と銘打って、ほぼ毎週村上春樹さんの作品に関するアンケート調査を行っていました。毎度項目を考えるのに苦労したのも懐かしいことです。

この大調査、実はいまでも「はてな」サイト上でアンケート結果を見ることができます。

この中にひとつだけ、村上春樹さん御本人出題のアンケート調査があるので紹介しますね。

【村上モトクラシ大調査】
村上春樹さん(本人)からの出題です。村上作品を、『ノルウェイの森』の前と後に分けると、あなたはどちらが好きですか?


このアンケートの回答募集は既に終了していますが、『1Q84』が刊行されたいま、あなたの回答はどちらでしょう……。」

拳銃談義・その2

文庫編集部Eの拳銃談義の続きです。

「その、会社に名前を残せなかったザイデルさんが設計したHK4が、ヘックラー・ウント・コッホ社が最初に手がけた拳銃です。もともと戦前のモーゼル社のヒット製品であった自動拳銃HScをベースに開発され、1968年に世に送られました。銃口からグリップの端までの全長が16センチ弱、銃本体の重量が500グラム弱。アメリカ軍が長く使っていたコルトM1911、いわゆる「コルト・ガバメント」の全長が21センチ強、重量が約1キロであることを考えると、小ぶりでいかにもヨーロッパ的な自動拳銃といえるでしょう。このモデルの最大の特長は、そのHK4という名が表すように、銃身の交換により4種類の口径の弾丸が使用できるという点でした。4種類の弾丸が使えるメリットというのは、拳銃所持が難しい日本人にとってはなかなか実感しにくいものですが、ユニークな特長が好評を博してかロングセラーとなりました。西ドイツ(当時)国内の警察に採用されたほか、アメリカにも輸出されたようです。

『1Q84』では、タマルは青豆に「ドイツ製で、重さは弾丸抜きで480グラム。小型軽量だがショート九ミリ弾の威力は大きい。そして反動も少ない。長い距離での命中精度は期待できないが、あんたの考えてる使用目的には合っている」と説明しています。とすると青豆のHK4は、使用可能な4種類のうちの最大口径である9ミリショート(.380ACP)弾を発射できる銃身が選択されていたことになります。さらにタマルは、この拳銃は手入れの行き届いた中古品であり、「銃は自動車と同じで、まったくの新品より程度の良い中古品の方がむしろ信頼できる」と説明。さらに警察の摘発を受けた場合を想定して、供述すべき拳銃の入手方法まで青豆に指示します。

 そして1984年。こうした天吾と青豆(そしてタマル)の物語が進行しているその年に、HK4は17年に及んだ製造に終止符を打ったのでした。」

「なるほど、1984年にはそんなドラマもあったわけですね。ところでEさんはHK4を撃ったことある?」
「残念ながらありません。機会があれば、撃たなくてもいいから、いじってみたいですね。マガジンを着脱したりとか。」
「しかしよっぽど拳銃が好きなんですね。この拳銃だったら撃たれて死んでもいいくらい好きな機種ってある?」
「あるわけないでしょう。でもこれだけは勘弁してほしいという弾丸はありますよ。体内で弾頭が広がってダメージを増大させる、ホローポイント弾とかソフトポイント弾はなるべく避けたい。それだったら、きれいに貫通してくれるフルメタルジャケット弾が望ましいですね。」
「覚えておきましょう。」
「はは。でも本当は、撃つのは好きじゃないんです。なぜかというと、鼓膜が弱いせいなのか、あの発射音に耐えられない。1発撃つと2、3日は難聴になるんですから。いつだったか、アリゾナ州の砂漠の真ん中で試し撃ちした時、イヤー・プロテクターをつけようとしたら、ガイドのカウボーイにこの軟弱者!と罵られたしなあ。」
「マニアにはマニアの苦労がある、ということか。」