『1Q84』 文庫

村上春樹『1Q84』文庫化記念特集 「波」2012年4月号より

僕が新宿中村屋にカレーを食べに行ったわけ

又吉直樹〈ピース〉(芸人)

 書店で働く友人が、「詳しくはわからへんけど、村上春樹の新作が出るらしい」と教えてくれたのは二〇〇九年の春。売場の平台を大きく空けて用意しているというし、やっぱり出るというウワサは本当だったのかと思いました。その頃の僕は毎日、新宿・渋谷のすべての本屋を巡るみたいな生活でしたから、大好きな村上さんの新作が読めると思って、幸福感というか、ほんまに嬉しかったですね。もちろん出てすぐに『1Q84』BOOK1・2を買いました。必ず貸してくれというやつがいると思って二セット買っときました。もともと村上春樹さんの本は古本屋や新古書店になかなか出ないんです。僕もそうですけど、みんな大事に本棚に入れてるからやと思う。今度の文庫はBOOK3まで出るので、一気に読み直そうと思っています。
 大好きな作家の本って、一行目からわくわくしますよね。『1Q84』の場合は、もう本を開く瞬間から楽しいって感じでした。僕は村上さんの小説は『風の歌を聴け』から読み始めて、『海辺のカフカ』(二〇〇二年)、『アフター・ダーク』(二〇〇四年)まで、すべて読んでいました。だから、次に出る本が本当に待ち遠しかったんです。実はお笑いのネタにもしてまして……。二〇〇三年に作った「野球少年とサラリーマン」というネタは、野球少年役の僕が村上春樹さんの小説の話をひたすらしまくって、最後に「今から次回作が楽しみやねん」と言い、相方が「いったい何の話や」とつっこむ。今でもたまにやるんですけど、野球少年が語る最新作が次々と変わり、今は『1Q84』になってますね。
 小説の冒頭に首都高速で渋滞するシーンがありますが、これから何かが始まるんだという予兆に満ちていて、めっちゃ興奮しました。リズムが良くて、どんどん入り込んでいく感じがたまりません。
 僕はけっこう天吾に感情移入して読んでましたから、彼が新宿中村屋のレストランで可愛い少女ふかえりとはじめて会うシーンはすごく印象的です。『1Q84』を読んだ後、すぐに中村屋に行きました。カレーが有名な店だし、カレー好きとしても前から行きたい店やったんです。席に座ると、久しぶりに会うらしい親子と隣り合わせになりました。三十代の息子と六十代の母親です。カレーを食べながら、「美味しいね、このカレー」と息子が何度も言い、そのたびに母親が「こんなに辛かったかねえ」と繰り返し答える。それが何だか可笑しくて……。『1Q84』を読んだおかげで、この親子に会えたんかなと妙に感動しましたね。
 中村屋にすぐ行ってしまったように、僕は小説の中で天吾とふかえりが気になって仕方がないんです。十七歳のこの女の子の話をもっと知りたい、この子がもっと小説の中に出て来てほしい……。たどたどしい話し方など、とにかく存在感がある。登場人物に思い入れをして読めるというのは、小説の醍醐味だと思います。
 天吾には、どこか自分のことが書かれているような気がしました。小説を書き換えるという怖しいことに直面させられる作家志望の男の葛藤、人間の根底にある魂を売り渡すかどうかのぎりぎりの決断――。自分ならどうするやろか、と思って読んでました。これで飯食っていけるかどうかで葛藤している、芸人のような世界に生きる人間の心理と似てるんですよ。なんで村上春樹さんに、その感覚がわかるんやろうと思って。
 それから、『1Q84』には人間の世界では説明できないリトル・ピープルというのが出てきます。すごく面白いですね。僕は父が沖縄で母は奄美大島出身なんですよ。沖縄ではすべてのものに神様がいるし、死者との距離も近い。僕が墓参りに行く時は、村のユタに連絡して、「明日、又吉家の長男が墓参りに来るのでお願いします」と山の神様に伝えてもらったりするんです。子どもの頃からそういう話を聞いて育ったので、『1Q84』のリトル・ピープルも驚かずに感受できました。この世のものではない何かは、境界線というか、街とか人の端っこに出てくるものだから。
 とにかく、まだ読んでいない人がいるなら、「今読んだほうがいい」と言いたいですね。『ノルウェイの森』の中で、時の洗礼を受けていないものは読んでも意味がないと語る人物が出てきましたが、僕はこの本は、今この時代に読むことに大きな意味があると思います。物語の中にでてきた音楽を聴こうとか、引用された小説を読もうとか、新宿中村屋に行ってみようとか、僕たちに別の世界への扉を開いてくれる小説だと思っています。


(談話をもとに編集部で構成しました)